ロールキャベツだけ嬉しくない…
食べたくないって感じる食べ物はたぶんない。
そう思える自分はラッキーなのかもしれないが、前に友達でキュウリが大嫌いだと語気を強めて語ってくれた奴がいた。
彼の言うには、嫌いな食べ物があるって事は逆に好きな食べ物を美味しがる味覚が好き嫌いがない人よりも敏感だと。
嫌いな物があるから好きな物への感心が強まるんだという理論。
全部好きだと1番がないから味覚に関して突出した好みを持てないんだという話だったのがなぜか印象に残っている。
たしかに自分はそうかもしれない。
ものすごく好きな食べ物はあるけど、1番美味しいと思う食べ物は選べないように思う。
うなぎ、マカロニサラダ、カレー、カキフライ、豆腐…
思い浮かべればパパッと自分の好きな食べ物は挙がってくるけど、たとえばカレーで今1番好きなのはこういうのだなってのはあっても、うなぎの中で今1番美味しいと思うものと、今1番美味しいと思うカレーだったら、どっちが勝るかって考えたら軍配のあげようが分からない。
嫌いな食べ物がある人なら迷いなくNo. 1の好物に飛び付けるのか。
そうだとしたら迷いを立ちきれない自分は食べ物に関して損をしているのかもしれない。
好きな音楽もそうだ。
音楽が好きだからバーなんかで音楽が好きな人と話をしても、1番好きなミュージシャンは?と聞かれる事があるけど、好きなアーティストがいまくるし、カッコいいと思える曲はジャンル関係なくあるから、どれが1番だって言われても困る。
どのジャンルの何年代の中ならどれが1番好きかって聞かれたら大体選べられるだろうけど、全部の中から発掘しろと言われるのは針の筵状態。
食材自体の味をさほど美味しいと思えなくても、その食材を何と合わせて、こんな調理方法で、こういう味付けにすれば活かせるんじゃないかって考えることが好きだから、ひとえに美味しいと思えないものでも嫌いになる事はないだろう。
それに音楽もそうだけど食事だって何を食べるかと同じくらいどうやって食べるかも大事だと思う。
音楽ならどこでどうやって聴くかによって、その曲への印象はだいぶ違ってくる。
僕はジャズやクラシックも好きだけど、ジャズやクラシックをまったく聴いた事がない人だって、とりあえずそれに適した場所とテンションで聴ける機会があれば『あ、なんかいいな』って思えるはず。とくに集中力のいる音楽は雰囲気が大事。
食べ物だってせかせかした気持ちで慌てて食べても美味しくなんかない。腹を満たすだけの食事なら僕は食べない方がマシだと思っているし、忙しく時間の限られた中でしか食事を取れない生活をしてる人には申し訳ないけど、少なくても『食う』『寝る』は一生死ぬまでやってかなきゃならない事だから、そいつを結婚相手と同じくらい大事にしてあげたいと僕は思う。
勝手な偏見ながら食べ方が汚い、よく噛まない、食べ物を残す、そういう人は家族に対してもおざなりにしがちなんじゃないかと考えてしまう。
僕にとっては妻が作ってくれる食事がどこの店で食べるものより美味しい。
それは二人でいられる時間が何より尊いと思っているからだし、僕のためにスーパーに出かけて、重たい袋を持って帰って、僕の事を想って料理してくれる事が本当にありがたくて、だから大金を払って優越感に浸って食べる食事を上回る味わいと満足感を得られるんだと思う。
いつもの感謝の印にたまに二人で贅沢な店に行ったりすることもあるけど、妻は大変喜んではいるが、やはり僕としては妻と食べる彼女の手料理の食卓が1番に思う。
そう思っていつも家に帰るのを待ちわびながら仕事しているのに、僕はロールキャベツだけ嬉しく思えていない。
という事を彼女は知らない。
嫌いな食べ物なんてないんだから、もちろんロールキャベツも好きなんだけど、あの料理の形態の良さが分からない。
味は好き。美味しい。
でも、ああいう風にしなくてもいいんじゃないかな。
無理してミニトマトにベーコン巻かなくてもいいんだけどな〜っていうのもちょっと思うけどロールキャベツの比じゃない。
いっそロールキャベツを嫌いになれたらハッキリそう言えるのに、妻がロールキャベツを好きなものでよく作ってくれるし、僕も味は美味しいと思ってるからもどかしさが胸に残る。
でもこれでいい。
そういうのも夫婦の形。
きっと墓場まで持ってく僕だけの秘密だ。