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キャンプホリックの一人話談

街を走り、山を登り、キャンプして遊ぶ、の巻

紅白歌合戦

物心ついてから今日まで約40年生きてきたが、まだ紅白歌合戦を1度も見た事がない記録を樹立し続けている。

数日前に番組表を眺めていて、紅白がNHKで放送されている番組だった事をはじめて知ったばかりです。

ですから、紅白に関しては非常に新鮮な気持ちで考える事ができる。

テレビをご覧になってる大勢の方が当たり前になんとなく見ている紅白を、自分は生きてきて1度として見た事がないのだから。

 

だから、と言うかなぜ僕がNHKの受信料を支払わないといけないのか疑問である。

見る人は払えばいいだろうけど、見ない人の家のテレビではNHKを受信できないようにしてしまえばいいじゃないか。

と、独り言のボヤキを書いてもなんの意味もないわけだけど。

 

実家を離れて20年以上の歳月が流れて今日まで色んな人と触れ合ってきたが、うちの家族は本当に正月らしい事をなんにもしない家庭だったんだという事が分かる。

たとえば大掃除。してるところは見た事もないし、ちびまる子ちゃんを読んで正月は大掃除っていうものをやるんだって初めて知った。

雑煮。まったく食べた事がありません。

もちろんおせちみたいな料理を見た事もなかった。

いや、オレンジ色でテカテカした鯛の形の中にアンコが入ってる和菓子みたいなのは母親が好きで食べていた。あれが正月らしい食べ物なのかは知らないけど。

初詣。大人になって友達と夜中に出歩くようになるまで一度も行った事がなかった。

はじめて地元の神社に友達と初詣に行った時、自分が知らなかっただけでこんなにたくさんの人が訪れている行事だったんだと知って本当にビックリした。

正月とか関係なく年がら年中ツタヤで好きな映画を借りてきてそればかり見てる家だったから、正月だからこれしようとかこれ見ようってのがなくて、そのおかげで実家を出るまで紅白を見ずに過ごし、この歳になるまで見ずを貫いてきてしまった。そして今年も見ない。

見たくないわけじゃない。見たいと思えないだけで見る事を頑として拒否しているわけじゃない。でもそれでいい。

自分ちがよその家と違うんだって事を知ってからは、自分の家族のぐうたらさ加減に落胆して、実家を出て上京したらなにかとマメにきちんとやる人になろう!と意気込んでいた頃もあったけど…

でも色んな人と出会って、色んな事を経験していくと、したくもない事をしなきゃいけないつまんない日もあったり、逆にしたい事が思う存分できる事の有り難さが身にしみたり、結局のところ自分の好きな事をしたいようにして、それで何が悪いの?って所にたどり着いてしまった。

それが誰かを悲しませたり傷つけてしまう事なら改めた方がいいのは確かだけど、今この歳になってようやくうちの家族の在り方に『別にそれでいいんじゃないの?』って勝手に和解するかのような思いを持てるようになった。

なんにでも興味を示して、それを行動に移せるうちは本当になんでもやったほうがきっと良いだろう。

でも、そうしていくうちにどっかのタイミングで、自分はこの方がいいな、自分はこれは嫌だなってものが少しずつ見えてくる。

そういう気付きがどんどん固まっていって、やがて自分がこうだ!って人間が出来上がる。

そして、俺は紅白も見たいと思えないし、年越し蕎麦も別にいらないし、大掃除なんか普段からちゃんと掃除してるんだから必要ないって思えてしまう、あんなに嫌っていた自分の家族のような人になってしまってました。

これが血なのかなんなのかは分からないけど、したくない事をわざわざしないといけないのは嫌だ。

それで大切な人を傷つけるなら考えを改めるが、紅白を見ないってだけで俺を嫌うような人がいるんだとしたら、どうぞ嫌ってくださいとしか思えない。

紅白を見たことがない、見たいとも思えないというのはそういう事だと思っている。

『それでいいじゃないか』のアイコン的な例えに出来ないかな。

したかもない事をしないといけないストレスフルな毎日を送っている人は、まず紅白を見ないところから逸脱を図っていくのもいいかもしれない。

もちろん紅白が好きなら見たほうがいいんだけど。それだけの事なんだけど。