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キャンプホリックの一人話談

街を走り、山を登り、キャンプして遊ぶ、の巻

あの良さとは

朝、歯を磨いてる時ボンヤリした頭でなんとなく『今が12月だからディッセンバーで…1月がジャニュアリーで…次がフェブラリーだから、マーチ、エイプリル、メイ、ジューン…ジュライ、オーガスト、セプテンバー、オクトーバー、ノーベンバー、ディッセンバーで、よし…全部続けてイケた…』ってやんわり考えるのがなんか良い。なんか好き。

『なんか』としか言いようのない良さがある、

7月と11月あたりでつっかえてカレンダーを見てしまったら俺の負け。でも気になってしまって見ずにはいられない。

最近なぜか歯磨きの時に1月から12月までを英語で数えるのが癖になっているんだけど、干支なんかも頭の中でスラスラ数えられると気持ちがいい良さがある。

ねー、うし、とら、うー、たつ、みー、とここまで流れに乗ってる感じでサーっと来るのに、そっから『うま、ひつじ、さる…』で今までのスムーズな流れがシャットアウトされたみたいで、他に言い方思いつかなかったのかと若干文句を抱きつつも十二支続けて数えられると、やっぱりなんか良い感じがする。

ブンブンブン、ハチが飛ぶの歌の歌詞に一文字ずつ『ル』を挟んで歌うっていうのも覚えたての頃はなんか良かった。

ブルブルンブルン、ハルチルガルトルブル、オルイルケルノル、マルワルリルニル、ノルバルナルガル、サルイルタルヨル、ブルブルンブルン、これは暗記してしまうと早口言葉と同じようなものだから、言えた時のスッキリ感は今はもうないけど、こういうのの『なんか良い感じ』ってなんなんだ。

大学教授とかはこの良さがなんと言う事なのか知っているのか?なら是非知りたい。

レジで会計してる時にピッて合計額が表示された瞬間に釣り銭の額を頭の中で弾き出してしまうのも癖になってるんだけど、それはなんていうか店員さんに対して優越感みたいなものを感じてるって事を自分でも感づいてはいる。

その時もややなんか良い感じがする。

雑念が混じってる分ややだけど。

 

小学生の時に空前のそろばんブームが舞起こった。今にして思えば何がそんなに面白かったのか謎だが、みんなして母親お手製の手提げカバンにそろばんセットを入れて習いに行ってた。俺も珠井算盤教室ってところに通っていた。なぜかそこの教室が人気があって他の小学校からもかなりの子供が集まっていたっけ。

 

本当に何が面白かったのか分からないけど、けっこう夢中になってパチパチやっていた。

ある程度慣れてくると自分でも『俺すげー』って思えるくらいに素早くパチパチ出来るようになって、弾いたパチパチをいったんリセットする時のそろばん自体を上下にカッチャカッチャさせる動作も、子供なりにプロっぽさを感じる魅力があった。

カッチャカッチャさせたら、そろばんが最初の状態に戻るから、そこからまた次の計算をそそくさとパチパチさせていく。

そろばんは木で出来てるので、やり込んでいくと自分が弾いたパチパチがかすれていって、その使用感もカッコよく思えた。俺は出来る奴なんだって事を周りの奴らに見せつけたい願望が騒ぐ的な心情もあったはず。

そして何より自慢しがいがあるのは昇級テストに合格した者だけがもらえるシール。

あれが良かった。

そろばんのフチに横並びに貼り付けていく銀色のあれ。

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これ。

級や段によって色分けされていて、自分は結局3級を取ってすぐ辞めちゃったけど、段位ともなると色味にも重厚感があったのを覚えている。1級までは明るい色のシールだったと思う。

これを綺麗に横に並べて貼っていきたいがために昇級試験を受けていたようなものだった。

いつかボタンを押したらそろばんのパチパチがリセットされるタイプのそろばんを手に入れたい!と願っていたが、その前にシールの情熱が燃え尽きたのか、スーファミのゲームにでもハマったのか、とにかく志半ばで辞めてしまったんだけど、あの満足感、あの喜びはいったいなんと名付けられているんだろう。

あの良さをなんて呼べばいいのやら。。