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キャンプホリックの一人話談

街を走り、山を登り、キャンプして遊ぶ、の巻

求む『仮面ブーム』

衣類は流行に乗って色やデザインを変化させて今を彩り、そして人々を楽しませているんだと思うんだけど、帽子とかメガネとかマスクが顔のオシャレアイテムとして発展しているように仮面も当たり前のファッションとして浸透してほしい。

覆面ではなく仮面。

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こういう仮面。

祭りの屋台に売ってるキャラクターのお面も仮面ではあるんだけど、大人がオシャレをするために使うものだから、もう少し素材とかデザインに気を配って考えたい。

自分は今まで生きてきて、このような仮面を顔にあてがった事がない。お面じゃなく仮面を。

ドンキとかに置いてるゴムくさい被り物は仮面ではなくマスク(覆面)に分類することとする。

エスニック雑貨の店なんかにいくと、壁に木彫りの仮面がインテリアとして掛けられているけど、あれは顔面に付ける用のじゃないので、もしかしたら俺は本物の仮面を見たことさえないかもしれない。

仮面をつけて活動するバンドはいるし、YouTuberでも仮面を付けて配信している人はいるが、仮面をつけて登校している女子高生はいない。

いけない事なのか?防犯上よくないことがあるのは十分わかる。

フルフェイスのヘルメットをかぶったままコンビニに入れば強盗と間違われても仕方ない。

だから仮面も同じように脱ぐべき場所をきちんと定めればいい。

本人確認が必要な場所やお店の中に入る時なんかはもちろん脱帽が義務付けられるだろう。

当たり前の事を当たり前に行えば、それでいいだけの話だと思う。

でも顔を見せない事で自分を主張したり表現したりする自信や勇気を持って行動できるようになるなら、あえてそうすべきなのであれば、公衆の面前で仮面を付けて堂々と歩いたっていいじゃないか。

問題点として考えられる事は、車の煽り運転と同様にお互いの顔が見えない状況だから起こってしまう衝突。

運転中は車の中にいるから自分と他人の間に隔たりがあるせいで自分本意な意識になってしまいやすい。

道を歩いてて自分の前に歩いてる人が遅くても、その人の真後ろまで迫って煽るような馬鹿なマネをする奴はそういないはず。

だから仮面を付けて自分の顔が見えないのをいいことに気を大きくして無駄な争いを起こす人が現れてしまう事は十分考えられる。

 

ならば歩きタバコや歩きスマホを禁止するように歩き仮面は禁止にしてはどうか?

仮面は仮面をつけて人と交流する場所でのみ使用するものとするのはどうだろう。

そうすれば仮面のオシャレを楽しみたい人同士の交流の場となるし、コンプレックスを隠すこともできる上に、犯罪などの抑制にもつながらないだろうか。

生まれ持った顔のコンプレックスで自分に自信が持てなくて、意志や発言を持つ事に消極的になってしまうと1人の人間としての個性が薄らいでしまうんじゃないだろうか。

無理に人前で自分を披露する必要はないけど、そうしたい思いがあるのに外見的コンプレックスが原因で出来ずにいる人にとって、仮面というツールが本当の自分や新たな自分に気付く手段として有効なものになるように思える。

出す為にあえてしまうという考え方からの発案だけど、帽子やサングラスだってファッションであると同時に裸の自分とは違うスタイルを気取るための手段でもあるだろう。

誰だって自分を覆うものを使って本当の自分とか自分以外の何かになって安定した心や自信を持つように生きているんだと思う。

もし、素っ裸で変質的な気持ちなく堂々と街中を歩ける人がいるなら、その人は自分の何もかもに完璧な自信を持っているって事だろう。

でもきっとそんな人は少ない。自分と外聞との緊張感を緩和させるか高揚させるか、そのための新たなフロンティアとして仮面が登場してくれたら嬉しい。

手始めはストリート系のブランドから、その年のトレンドを取り入れたオシャレなデザインの仮面が発売されて、それが若者を中心にヒットして、徐々に幅広い世代に受け入れられるようになっていけば、いろんなアイディアの面白い仮面が考案される事だろう。

こだわる人は自分で作ったっていいんだし、カッコ付けたい人はシルバーの仮面で大いに目立ってみればいい。重たくて大変だろうけど。

ひのきの仮面なんかも良さそうだ。

お肌にいい仮面とかも発売されそう。

服屋で普通に仮面を試着してる人を見かけるようになったらいいな。

そのうちホログラムみたいな立体的に色やデザインを変化させられるような画期的な仮面が発明されたら超欲しい。

 

しばらくはそんな想像で楽しめそうだ。