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キャンプホリックの一人話談

街を走り、山を登り、キャンプして遊ぶ、の巻

初体験、あの感動

大人になるとは…

このテーマには人それぞれの『こういうこと』だという意見が存在しているだろうけど、それらの見解は往々に『経験』と括って分類できないだろうか。

たとえば、責任感を持った行動が出来るようになることも大人になる事の一つだと思う。

進学校を出て大学に入り大手の会社に勤めて安定した生活と収入を得る事もそうだと思う。

子の親になる事も。

セックスするでもいい。結婚でも離婚でもいいだろう。

何事も経験。経験なくして成長はないと思われるし、人間が社会と混じり合って溶け込んでいくには様々な種類の経験を経る必要があって、その中でこれはこうでよかった、あれはこうした方が良かったんだ、あんな事もう絶対嫌だ、もっとこうしたい…っていう風に経験が自身の選択肢を増やしたり、曲げたり、一直線にさせたりしながら、その人を社会人としてだけじゃない一個人としての大人へ成長させていくだろう。あくまでも一般的な範疇で。

経験や努力もなく自分の頭の中のイメージを容易く現実にしてしまう人もいる。それはもう天才の領域なので別とする。

 

『あ、そっか、なるほどね』ってな感じで自分の中で理解出来ると『そうなると、こういう事も言えるって事か』って感じで、ほかの事にも応用が利いた知識を持てるようになる。

それは他人から『こうだからね』って聞いただけでは得られないものだ。

実際に自分で経験するから知識が記憶される。

 

たとえば子供の頃、道路を横切る時には『右見て左見て』と言われなかっただろうか。

左見て右見てって教えられた人もいるかもしれないけど。

でも、どうして右見て左見てなのか。

それは日本の道路は左側通行なので、歩行者が道路を横切るなら自分の右側から来る車が先にぶつかる恐れがあるからだ。

左から来る車は反対車線なので右見て左見てが正しい。

こんな事当たり前過ぎて説明不要の常識だけど、小さな子供が親から言われただけじゃ理由までは分からないだろう。

でも車道が左側通行だって事を理解すれば、自分で『なるほど、だから右から見た方がいいのか』って分かるようになる。

こんな当たり前で些細な事でも大人になるピースの1枚だと思う。

 

だけど、大人になる事で会得していく社会人としてのスキルや、人生の経験値みたいなのを身につけていけばいくほど

『あの感動』と自分が縁遠くなってしまっている事にいつか気づく。

それはきっと誰にでもある事だろう。

胸いっぱいに広がる感動で心の中が嬉しくなるあの感じ。あれを味わうチャンスはどこへ行ってしまったのやら。。

 

子供の頃、新しく買ってもらったパジャマをはじめて着た時。

あの時の股間がソワソワするような妙なウキウキ感はたまらないものがあった。

 

はじめて大人のサイズのママチャリに乗った時に見えた景色もやたらスカッとしてて、そいつに乗ってどこまでも行きたい気持ちになった。

 

はじめて自分で選んだペンケースを親に買ってもらった時も、自分の鉛筆やシャーペンを中に並べて、それを学校に持っていく事を想像するだけで心が躍った。決して勉強がしたくなるわけではなかった。

 

誕生日とかクリスマスにもらえるプレゼントでは感じる事のない、自分の中だけのちょっとした成長に胸が高鳴っていたのか、その時にしか体験できない特別なあの感情。

そういえば昼休みにみんなでやるドッヂボールで、はじめてボールをキャッチするコツを体で覚えた時も心の中で『よっしゃ!よっしゃ!よっしゃー!』くらいメチャメチャ昂ってたな。

 

そういうのを恋しく思ってしまうのは自分が歳を取ったからと、やっぱり初体験に勝る感動はないという事なのか。

なんでも慣れてしまうと当たり前になってしまうから。だから過去を大切にしながら未来を目指して行くことが今すべき事なんだなーと思った。