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キャンプホリックの一人話談

街を走り、山を登り、キャンプして遊ぶ、の巻

ゼロ地点

自分が帰る場所はゼロ地点であるべきでしょう。不安や苛立ちとは無縁な安住の地であってほしい。

家族でも恋人でも友達でも職場の仲間でもいい。衣食住を共にする人間と過ごす場所はフラットな居心地を共有出来た方がいいし、お互いに裸になって腹の力も抜いて、なんの気構えも気取りもない単なる一人の人間としてカッコ良くない自分を自然と相手にさらけ出せる空間と関係。

それがゼロ地点のバランス。

その中では基本的に優しさと誠実さと楽しさが均等に充満していて穏やかに時が刻まれる。時々ピリついた感情が空気を尖らせる事があっても、互いに冷静に自然と呼吸するように言葉を交わせば、不安や苛立ちは小さな事になり、愛情や友情や向上心が自分を大きく膨らませる。

優しい気持ちや楽しい気持ちだけで平和が守られるならそれもいいが、僕達はいろんな人や物事と問題を衝突させなければ生きてはいけないようなので、怒ったり悲しんだり焦ったり恨んだりする時がどうしてもあるけど、胸を熱くするような感情は出来るだけ自分の中で燃やして、不平不満はグッと飲み込み、吐き出す息と言葉は空気さえ傷つけないように静かに。

自分の自慢はせず悪口や愚痴もそれを共有できる相手といい気にならない程度に楽しんで話せるならいい。

仕事でも恋愛でも個人的な人間関係でも色んな事が毎日あるけど、なんだかんだあった後で自分が帰りたく場所はフラットなゼロ地点であってほしい。

 

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こいつを見てるとそう思う。

自分より弱くて自分を愛してくれる存在を怖がらせたり傷つけたりしては自分が帰りたい場所を失ってしまうだろう。

 

ウイルスが僕らの暮らしを脅かして、したいように出来ない、行きたいところに行けないようになってしまっても、本当の自分まで見失ったらウイルスなんぞに居場所を奪われるのと同じになってしまう。